- 159 ps 最高出力
- 13.1 kgm 最大トルク
- 218 kg 乾燥重量
第二次世界大戦のさなか、デザイナーのアルド・レオニとアルド・ファリネッリは、自転車に補助エンジン搭載した乗り物の試作品を製作しました。そのバイクは、Cucciolo(クッチョロ)と名付けられました。
4ストロークエンジンと2速ギアの採用によってパワーを最大限に引き出し、レオニとファリネッリのプロジェクトはライバルとは一線を画していました。
CuccioloのメーカーであったSIATA社は、イタリア・トリノ市のレオナルド・ダ・ヴィンチ通りに新工場を建設して事業を再開。それは大戦中に被害を受けた旧工場の跡地に、驚くほどの短期間で建造されたものでした。このエンジンは1945年のトリノ・ショーでデビュー。イタリアの歴史ある二輪車専門誌『Motociclismo/モトチクリスモ』誌の1945年7月26日号の記事では、SIATA製マイクロエンジンとして紹介され、「子犬(cucciolo)がトリノで誕生」という見出しが付けられました。
Cucciolo/タイプ1モデルの販売開始から数ヶ月が過ぎ、次々と注文が入ってくるようになると、SIATA社だけでは生産が追いつかないことは明白でした。ここでボローニャを本拠地とするドゥカティが登場するのです。
革新的な精密切削および無線電気製品の分野において高い評価を受けていたドゥカティは1945年、Cuccioloの製造という新分野に進出。製造権を全面的に取得して事業範囲を拡大することを決定しました。
こうして1946年9月のミラノ・トレードフェアで発表したのが、SIATAからライセンスを取得して製造したドゥカティ製「タイプ1 Cuccioloエンジン」。最初の生産台数は10台でした。
同年、ドゥカティは「T2」と名付けた自社初のオリジナルプロジェクトを完成させます。T1の影響を強く受けた「T2」は、エンジンの高効率化と耐久性向上の点で注目に値する進歩を見せましたが、大きなインパクトを与えたのは、そのエンジン構造でした。例えばシリンダーは取り外しできるように設計し直し、駆動系の作業性も改善しました。シリンダーヘッドにも変更を施し、性能向上を実現しました。またバックボーンフレーム(当時としてはきわめて先進的な機能!)を採用。フロントおよびリアのサスペンションは驚くほど快適な乗り心地を提供しました。
さらにはフレームから独立した頑丈で便利な荷台を用意し、それはサスペンション機構も装備していました。
最高出力2馬力、最高速度60km/hに達するT2のスポーティなバージョンもラインナップしました。
1947〜1948年の間に、ドゥカティはCuccioloの生産製を向上。一日240台まで増産することに成功しました。そして1948年、ジョバンニ・フローリオ指揮のもと、ドゥカティ独自開発によるエンジン「T3」の生産を開始。
T3は初代エンジンの機能を継承。3速ギアとともに、ケースに収めたグリース潤滑式の吸排気バルブを搭載していました。
1949年、戦時中は航空機メーカーとして活躍したイタリア・トレントのカプローニ社が、リアサスペンションを装着したCucciolo専用の新型パイプ製フレームを開発。
同年の夏にはカプロー二社は更なる改良を施し、そのカタチは現代のモーターサイクルにより近いものとなりました。そして排気量拡大とともにデザインを一新した「Cucciolo T3」は、ボルゴ・パニガーレ工場でこのカプロー二製新型フレームに搭載しました。
このモデルこそが、“ライト・モーターサイクル”として市場に導入したドゥカティの革新的モデル「Ducati 60 」の先駆けとなりました。
1年後に登場した排気量65cc、スイングアームとフロントの左右に伸縮式ショックアブソーバーを搭載した「Ducati 60」のスポーツバージョンは、モータースポーツの世界でも活躍できる可能性を示すモデルとなりました。
燃料1リットルで100km近くを走行できる信じられない程の燃費の良さも、Cuccioloの大きな特徴でした。
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Displacement |
48 cc |
Maximum power |
1.5 hp at 5500 rpm |
Maximum speed |
50 km/h |
Dry weight |
Not available |